上田城探検マップ その三
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- 2024年11月23日
- 読了時間: 3分

9月、10月に続いて「上田城探検マップ」をご紹介。今回は最終回として、「本丸」を探ります。本丸には天守はなく、七つの櫓(やぐら)があったといいます。本来の姿はどうだったのか、上田市の文化財保護担当の谷口弘毅さんにお聞きしました。
*取材協力・資料提供 上田市
いざ! 本丸エリアを探検!!

上田城の一番真ん中にあるのが「本丸」です。本丸の南側は尼ヶ淵と呼ばれ、天然の要害である千曲川の分流が流れており、城の守りに重要な役割を果たしていたことから、それ以外の3面に堀を作りました。本丸にはお城のシンボルである天守も城主の御殿もありませんでしたが、7つの櫓と2つの虎口門が置かれました。これは関ヶ原合戦の後に、真田氏が築城した上田城が徳川方に接収、破却されますが、その後に、仙石忠政が建て復興したものです。
櫓7基と西の虎口門

そんな本丸の中に、かつては櫓が東西南北に7基ありました。現在、残っているのは、東虎口櫓門につながっている南・北櫓と、西櫓の3基。虎口の門は、東西2ヵ所にありました。(なぜ「虎口」というのかは諸説あり、もともと「小口」だったという説も)西の虎口門は、礎石のみ残っている様子が、上から見ると分かります。西側の守りは、門が鍵の手になった場所に建っていて、櫓がふたつある江戸時代のお城には多く見られる構造で、敵もおいそれとは攻められなかったでしょう。写真の石垣の上部をよく見ると、へこんだ跡(門の柱をはめこんだ跡)があります。
隅欠(すみおとし)
櫓の数は本来、門の両脇にふたつずつ(4基)、さらに北の東西の両隅に2基、合計6基で十分なのですが、上田城には「隅欠」と呼ばれる場所があります。土塁の北東の隅を切り込み、鬼門除けにしたため、北東には切り込みの角に2基櫓がありました。現在でも、櫓の礎石が残っており、上に大きな丸い柱が立っていた跡があります。しかし、櫓の大きさを考えると、だいぶ土塁が削られてしまったようです。

櫓のみどころ
櫓の大きさは、梁間4間×桁行5間(1間=約1・8㍍)。櫓が建っている方向によりますが、現在、城内にある櫓はどれも同じ大きさです。全部が同じ大きさの櫓というのは、全国的にも珍しいそう。南・北櫓の見どころのひとつは、角柱です。明治維新で廃城になった後、櫓が上田遊郭に売られたため、襖で部屋を区切るため、丸い柱がひと回り小さい四角形に削られてしまったのです。よく見ると、襖があった名残の線が付いています。
西櫓は、唯一江戸時代から現存している建物です。今は、内部公開されていませんが、将来的には見学できるようにしたいそうです。
●上田城探検マップ3回の連載を終えて
第1回では「武者溜り(むしゃだまり)」、第2回は「尼ヶ淵」、第3回の最終回は「本丸」を取材しました。現在の発掘状況、尼ヶ淵の石垣からわかること、櫓のたどってきた歴史や見どころなど、城は何も言わないけれど、雄弁に語りかけてきます。今回の上田城探検マップで、あらためて上田城の歴史や魅力が未来を担う子どもたちをはじめ、多くの人に届き、いつの日か、仙石氏の時代の7つの櫓と西の虎口門が完成する日を夢見て。(編集子)
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